シャロンの薔薇

聖書から学んだこと・日々の出来事・ハンドメイド

分かれ道、どちらを選択するか

f:id:fantsht:20210305172400j:plain

 東日本大震災からまもなく10年。

私はその日、上り東北新幹線の中で地震に遭遇しました。

10年一昔と言いますが、3月の声を聞くと当時の記憶が

コマ送りのように蘇ります。それだけ深く心に根を下ろした

出来事だったのだと思います。

 避難所へ一歩を踏み入れた時の、冷たい床の感触。

真っ暗なトンネルの中を、駆け抜けた時の鼓動の激しさ。

心臓が弱い私には、事実、決死の脱出劇でした。

 

新幹線の車中、避難所は殊の外、落ち着いた雰囲気でした。

人間は案外、避けられない事実を前にすると肝が据わるもの

なのかもしれません。ストーブを囲んで暖を取り、順番に

携帯電話を充電し、支給されたお茶を飲み、他愛ない話を

しながら、静かに情報を待つ。不思議な連帯感に包まれた

空間だったのを思い出します。

 12日夕方4時過ぎ、3人の会社員風の方から声をかけられました。

「タクシーで仙台へ引き返そうと思うのですが、もう一人

乗れます。いかがですか」と。その日は避難所での宿泊が

決まっていたので、やや戸惑いを感じつつも、「では、

お願いします」と返答。そして、その日のうちに仙台へ

戻ることができたのでした。

 

 避難所へ向かうバスは二手に別れていました。上り方面25台、

下り方面1台で、私は後者を選んだので、人数が少ない分、

様々な混乱を避けられたと思います。「どちらにしますか」と

誘導員に問われた時、かなり悩みました。帰宅したいのは山々

です。でも高齢の義母を仙台に残してきている。仙台に戻った

として、もし東北と関東が分断されるようなことになれば、

当分、家に戻れない。ぐるぐる思いが巡る中、何か心の声が

聞こえた気がして、「下り方面で」と答えていました。後々、

ニュースで都内の交通網の混乱を知り、むしろ自宅に帰るのは、

より至難の業だったことが分かりました。

「下り方面」を選択したことも、タクシー乗車を決めたことも、

即決したわけではありませんが、結果的に最善の選択をしたの

だと振り返ることができます。

 

分かれ道で選択する―「促されてする決断にも意味がある」

堀肇著『谷陰を越えて歩む』(いのちのことば社)の中の

タイトルです。旧約聖書にある、有名なエステル物語について

言及しています。同胞ユダヤ民族を危機から救ったペルシャ王妃

エステルですが、主体的な決断というより、従兄モルデカイの

強い促しがあっての決断だったのだと。

本文より一部を抜粋させていただきます。

 

エステルも、‥あの特殊な状況において、一瞬であったとしても

逡巡とも思えるためらい、問題に即応できないという状態に置か

れていたのです。それが私たち人間の現実ではないでしょうか。

言い換えると、人は‥他者から促され追い込まれて決定することも

多々あります。それもまた意味深い勇敢な行動であると私は

考えたいのです。

 

もともと優柔不断で、自分で決めることを避け、右へ倣えを

モットーとするのが本来の私の姿ですが、振り返れば一歩を

踏み出したい時に、決断を促す何かの力が働いていることに

思い当たります。うまく言い表せないのですが、ポンと背中を

叩かれ、前に押し出される感覚。それはきっと、心の内に

住んでいてくださる、神さまの促し。そんな気がしています。