少し前のニュースになりますが、10月20日、86歳の誕生日を
ました。それは何とも麗しく、心の奥底に沈む澱(おり)を
一掃してくれるような、実に清々しいものでした。
「できなくなったこと」への考え方について―。
療法の影響による指のこわばりによって、今までのようには
ピアノを弾けなくなられたそうです。今まで当たりまえのように
出来ていたことが、だんだん出来なくなることを、美智子様は
「お返しした」と表現されました。
宮内庁の発表を引用するなら、「今まで出来ていたことは授かって
いたもの、それが出来なくなったことは、お返ししたもの」と
して、受け留めておられるとのこと。
神さまから授かった無償の賜物(プレゼント)は、十分に生かし
用いること。それを十分に生かせなくなった時は、出来なくなった
ありのままの自分を受け入れ、感謝して授かりものをお返しする。
メメント・モリ(memento mori ラテン語)は、中世ヨーロッパ
で よく用いられた、「死を想え」「死を忘れるな」という意味の、
死生観を表すことばです。
土のちりは元あったように地に帰り、
霊はこれを与えた神に帰る。
(旧約聖書:伝道者の書 12章7節)
私たちのいのちは地上における、神さまからの、いっときの
授かりもの。いのちも賜物も、しばらくの間、神さまから
預かったものなのだから、来たるべき時が来たら、お返し
するのは当然のこと。そう考えれば、四苦と言われる「生・老・
病・死」に、無駄に抗うこともなくなるでしょう。昔、TVの
ギャグにもありましたね。「無駄な抵抗はやめなさい!」と。
カール・ヒルティも同様のことばを残しています。
何事にせよ、決して「私はそれを失った」と言ってはならない。
「私はそれを返した」と言うべきである。
聖書にお詳しい美智子様のおことばに感銘を受け、あらためて
心の1ページに書き留めておこうと思いました。