シャロンの薔薇

聖書から学んだこと・日々の出来事・ハンドメイド

中村憲剛選手に見る、引き際の美学

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初めに。

私がサッカーについて書くときは、かなり長文になります。

サラッと読み進めていただければ幸いです。

 

11月1日の中村憲剛選手の引退会見から‥。

今なお余韻の冷めやらぬ、カッコ良すぎる引き際の美しさを

堪能しています。

 

Jリーグ川崎フロンターレ、言わずもがなの司令塔・中村憲剛選手。

プロ18年目、誕生日を迎えた翌日の引退表明でした。サッカー好き

なら誰でも、なぜ今?今じゃないでしょ?そう思ったでしょう。

なぜなら、40歳になっても全く衰えを感じさせないトップレベルの

パフォーマンスで、サポーターを魅了し続けているのですから。

 

後づけになりますが、長年、憲剛選手のサポーターをしている

せいか、今季はいつもと何か違う、そんなオーラが出ていた

ようにも思います。だから、“ああ、これだったか”と、妙に納得

です。ただ、憲剛選手のプレーも今季が見納めかと思うと、来年が

想像できません。試合日を記した手帳やカレンダーを見る度に、

憲剛選手不在の寂しさを、ひしひしと感じるのだろうなと‥。

 

会見後、多くの関連記事が報道されましたが、憲剛選手自身が

書いたブログの内容が、最も秀逸で心を揺さぶられました。

天は二物を与えずと言いますが、憲剛選手は書き手としても

一流ですね。 ブログから、心を捉えた箇所を紹介します。

(勝手に引用、お許しあれ)

 

サッカー選手としての終わり方を考えた時に、まずフロンターレ

以外での引退はあり得ない。また同時に、30代後半のベテランで

ある自分の扱いにチームが困るようなことがあってはならない。

そう思った時に、引退するまでは絶対に戦力でいたいと。

 

まだスタジアムがガラ空きだったJ2時代から、フロンターレ一筋

18年。日本代表に選ばれ、リーグMVPにもなり、優勝二連覇、

タイトル獲得に導いたバンディエラ。ただ今、リーグ戦の首位を

独走中。

 海外からのオファーを断ってまでチームの成長に貢献してきた

ベテラン選手。まさにクラブの核として、また象徴として位置

づけられているゆえに、身を引くタイミングについてずっと考えて

いたのでしょう。最後まで戦力であること、そこに憲剛選手の

サッカー選手としてのプライドを感じます。大怪我を克服し、

ただ復帰するだけでなく、戦力として勝利に貢献して引退する。

その高いモチベーションがあったからこそ、辛いリハビリも

乗り越えられたのでしょう。

 

フロンターレにとって一番良い自分の引き際を考えた時に、その

目安を40歳と自分で線引きをして、そこまで目一杯やり切る

ことに決めました。‥‥大怪我の経験と、その大怪我と向き合って

戻る経験ができたら、いよいよ悔いが残らないと思いました。

 

憲剛選手のブログの中で、とても心を打つ箇所があります。

一番のサポーターである、お子さんたちに伝えた時のくだり。

 

子ども達に伝えるのは一番辛く高いハードルのミッションでした。 ‥‥ ずっとずーっとフロンターレの選手でいてねと無邪気に

言われるたびに、胸がチクッとするような気持ちになりました。

‥‥子ども達も受けとめるのに時間がかかるだろうからと、何度も

読み返せる手紙に思いを書いて伝えました。読みながら無言で

ぼろぼろと泣いていました。 ‥‥ まだできるのに引退という

決断をなかなか納得いかないだろう長男には、どんなこともどんな

ものも ずっと同じであり続けることは不可能で、変化があるから

こそ楽しく、終わりがあるからこそ素晴らしいと 妻がそう話して

くれました。その話を聴いた時に、この決断に心からスッキリ

することができたんです。 ‥‥チームメイトとサッカーができる

のが当たり前だった18年間、有限だからこそ話さなきゃいけない

ことや伝えたいことがたくさんあります。ここから引退まで日々を

丁寧に過ごしていきたいと思います。

サッカー選手としての中村憲剛は ここで幕を引きたいと思います。

 

大学時代、サッカー部のマネージャーをしていたという奥さんの

ことばに、ずっと同じ夢に向かって歩んできた夫婦の強い絆を

感じました。きっと家庭の中でも奥さんがマネージャーとして、

良きアドバイスをしているのでしょうね。

 

それにしても清々しい引退会見でのことば、ブログでの報告。

コロナ禍の憂さの中、一服の清涼剤となる引退会見に感謝です。