シャロンの薔薇

聖書から学んだこと・日々の出来事・ハンドメイド

私は 私らしく

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自分を客観的に見られない人は、案外、多いかもしれません。

昔、心理学を学ぶ集会で、グループに分かれ、自己評価・

他己評価を問うテストに臨んだことがあります。結論から

言うと、人の私への評価や印象が、自己評価と微妙に違うと

いうこと。私って、他の人からはそう見えていたんだ‥と、

なかなか興味深かったのを覚えています。

 

テレビのCMっぽいですが、“私らしさ”って何だろう。

ひと言で表現したり、文字にするのが難しい質問ですね。

 

まばたきの詩人と言われた水野源三さんに、「生きる」という

詩があります。

 

    生きる

          水野 源三 

 神さまの

 大きな御手の中で

 かたつむりは

 かたつむりらしく歩み

  蛍草は

  蛍草らしく咲き

  雨蛙は

  雨蛙らしく鳴き

 

   神さまの

   大きな御手の中で

   私は

   私らしく

   生きる

 

水野さんは小学生の時、疫病から脳性麻痺になり、後遺症の

ために寝たきりの生活になりました。伝達手段は瞬きだけ。

身の上を聞くと、なんと重く、つらい人生なのだろうと胸が

痛みますが、この詩には、そういう暗さがなく、清々しい

希望の光さえ感じられます。水野さんは闘病中に聖書に出会い、

洗礼を受けます。そして「生きる」こと、「生かされている」

ことの意味を深く知るようになりました。

 

 わたしの目には、あなたは高価で尊い

 わたしはあなたを愛している。

         旧約聖書イザヤ書43章4節

 

たとえ無力で、陽の当たらない境遇にあったとしても、自分は

高価で尊い。神さまに愛されている。この自己価値、アイデン

ティティーを持つことができるなら、弱くても、小さくても、

無力であっても、世間の評価は低くても、「私らしさ」を堂々、

肯定して良いのだと。

 

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“私らしさ”の中には、長年、培ってきたものもあるでしょうし、

ある日、目からウロコが落ちて、価値観がクルッと逆転して

しまった、そんな意外性のある “私らしさ”もあると思います。

量的なもの、質的なものが混じり合って、“自分らしさ”という

ものが確立していくのでしょうね。

 

“私らしさ”って何だろう?

最初の問いに戻りますが、“私らしさ” はありのままの自分? 

もしそれが正解なら、正しく測れる神さまの定規をあてがって、

欠けの多い部分を修復しながら、ありのままの素の自分を

再評価してあげたいと思います。