シャロンの薔薇

聖書から学んだこと・日々の出来事・ハンドメイド

祈りの力を信じて

 

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6月5日、横田滋さんが天に召されました。

長女のめぐみさんが北朝鮮に拉致されてから40年余り。

以来、被害者家族連絡代表として、早紀江夫人と共に

必ず再会できることを信じて、救出活動に尽力されました。

 

人間は、耐えられないことが二つあるのだそうです。

一つは孤独。もう一つは不当に扱われること。

拉致という不当な扱いは、耐えることも、許すことも

けっしてできないことなのです。

 

早紀江さんがクリスチャンであることは周知のことですが、

滋さんが3年前に洗礼を受けたことは、あまり知られて

いません。早紀江さんは苦しみの中で友人に勧められ、

聖書に出会い、人知を超えた大いなる神を信じる道に

導かれました。凛として軸足がブレない佇まいに、

信仰者の強さを見る思いがします。

 

向かう目標は同じでも、信仰の有る無しでは意見の相違も

あるのでは? そんな風に、未信者の夫を持つ自分の身に

置き換えて考えていたこともあります。昔のスクラップ帳を

パラパラめくっていると、「いきいき」(今は名称が変更)

という定期購読誌の、滋さんの談話が載っているこんな

記事を見つけました。

 

早紀江さんと滋さんの意見はいつも同じだとは限りません。

早紀江さんの信仰について、滋さんは「神が人間を作ったと

いうけれど、私は人間が架空の神を作ったのではないかと思う。

祈ったら解決するというのは、どうもね」‥‥。 

            「いきいき」2003年2月号より

 

どんなに志を同じくしても、信仰というものは誰も侵すことの

できない領域なのだと、深く納得させられる言葉です。

でも滋さんは、早紀江さんの信仰の歩みを通して、祈りを

通して、いつしか、背後におられる神様の存在を認めるように

なったのでしょう。俄然、私にも一縷の望みが湧いてきました。

 

お二人が所属する教会は、私が通う教会と同じ教団で、しかも

隣り町にあるという‥。ひじょうに親しい間柄の教会なのです。

横田さんの活動に対する祈りも、継続的にしています。

 

一人ひとりの祈りの火は小さくても、祈りの輪が広がれば

大きな炎になります。神さまが、横田さんのご遺族に寄り

添われ、悲しみの涙をぬぐってくださいますように。

そして、拉致という理不尽きわまりない出来事の、一日も早い

解決のために、心を合わせて祈りたいと思います。