シャロンの薔薇

聖書から学んだこと・日々の出来事・ハンドメイド

小さな種の独りごと

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カウマン夫人の霊想書「荒野の泉 II」から、今日の日付

427日の記事を一部、紹介します。ちなみにこの本は、

24年前に洗礼を受けた時に、クリスチャンの先輩から

贈られたもので、今も大切にしている座右の一冊です。

 

小さな一粒の種が地に落ちて、やがて芽を出しました。

そして小さい芽は心配そうに 周りに咲いている花を

見回して言いました。

 

「一体、私はどの花になるのだろうか。」

 

その小さい種は独りごとを言いました。「ゆりの花には

なりたくない。ゆりの花は冷たくて、おすまし顔でいる

から。ばらの花にもなりたくない。ばらは色が派手すぎ

ます。またすぐ枯れてしまうし、花はすぐ萎れてしまう

から役に立たないでしょう。すみれの花にもなりたくない。

それは花が小さすぎて暗い感じがします。そして背も

低すぎます。」

 

実際、この小さい種ほどではないにしても、自分にも人の

あら捜しをすることが確かにありますね。特に、あまり

相性のよくない人だと「あの人よりはまだマシかな」とか

「あんなふうにはなりたくないな」とか、暗黙のクレーマー

になっていることが、ままあります。

 

そして、小さな種には話の続きがあります。

 

小さい種はそれぞれの花のあら捜しをしました。

この高慢な種は、ある夏の日、自分がただの雑草であること

に気づくまで、いつまでもそうやって、ほかのあら捜しを

続けたのです。

 

自分がまさかの雑草‥。気づいた時の種の思いは‥。

 

きれいな花であっても、道端の雑草であっても神さまが

造られた価値あるもの。それぞれ個性の違う私たちも、

お互いの存在を認め合う柔和な者になりたいものですね。

 

※写真は小5の孫が一番好きだというカラスノエンドウ

 なぜか小さい頃から道端の草花が好きなようです。