「あしあと」 マーガレット・F・パワーズ (松代恵美訳)
ある夜、私は夢を見た。私は、主とともに、なぎさを歩いていた。
暗い夜空に、これまでの私の人生が映し出された。 どの光景にも、
砂の上に二人のあしあとが残されていた。 一つは私のあしあと、
もう一つは主のあしあとであった。 これまでの人生の最後の光景が
映し出されたとき、 私は砂の上のあしあとに目を留めた。
そこには一つのあしあとしかなかった。 私の人生でいちばん
つらく、悲しいときだった。 このことがいつも私の心を乱して
いたので、私はその悩みについて主にお尋ねした。
「主よ。私があなたに従うと決心したとき、あなたは、すべての
道において私とともに歩み、私と語り合ってくださると約束され
ました。
それなのに、私の人生の一番辛いとき、一人のあしあとしか
なかったのです。 一番あなたを必要としたときに、 あなたがなぜ
私を捨てられたのか、私にはわかりません」
主はささやかれた。 「私の大切な子よ。私はあなたを愛して
いる。 あなたを決して捨てたりはしない。ましてや、苦しみや
試みのときに。 あしあとが一つだったとき、私はあなたを背負って
歩いていた。」
前回の記事に続き、印象に残る詩を紹介します。
マーガレット・F・パワーズの「あしあと」という詩です。
私が所属する教会では、年3回、教会レターを発行しています。
編集には私も携わっていますが、新型コロナウィルスの感染拡大の
ため、3月からは自宅でのインターネット礼拝を推奨、平日集会は
休会です。メールで連絡を取り合う不便さの中での編集には苦労も
ありました。先の見通しが立たないので教会行事の情報も載せられ
ない。そこで何を載せようかと頭を捻り、浮かんできたのが
この詩でした。
映画のワンシーンのように情景が浮き上がります。
渚を歩く二人連れ。神さまと私。砂の上には二人のあしあと。
ふと気づくと、一人のあしあとしかないところがある。それは
人生で一番辛かった時。なぜ神さまは私を見捨てられたのか?
逆境が続くと、詩人のように神さまに失望するかもしれません。
でもクライマックスの最後の一行、ダイナミックな神さまの
言葉にすべてが氷解。愛の深さ、広さに圧倒されるばかりです。
教会レターが発行され、繋がりのある方々に発送しましたが、
いつにもまして反響が大きかったことに驚いています。
目に見えない脅威、コロナウィルスの拡がりに戦々恐々とする
一方で、目には見えないけれど、私たちの命をも支配しうる
大いなる神さまへの思いが静かに立ち上る。反響の大きさには、
そんな理由があるからかもしれませんね。
緊急事態宣言が発令され、いよいよ深刻な状況になってきて
います。いのちに関わることです。いっそう高い意識をもって
行動できるよう、自分に言い聞かせています。
皆さまも、くれぐれもご自愛ください。
たとえ 死の陰の谷を歩むとしても
私はわざわいを恐れません。
あなたが ともにおられますから。
あなたのむちと あなたの杖
それが私の慰めです。