シャロンの薔薇

聖書から学んだこと・日々の出来事・ハンドメイド

わたしたちが正しい場所に 花は咲かない

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 『わたしたちが正しい場所に 花は咲かない』

たまたま目にしたこの本のタイトルが気になり、誰が書き、どんな

意味、どんな内容の本なのかをGoogleで調べてみました。

作者はアモス・オズ1939-2018)。イスラエルの著名な作家です。

イスラエルパレスチナ両国間の問題解決を提唱する、熱心な

平和論者でもあったそうです。

 

正義と正義が合わされば、いっそう強力な正義が生まれるかと

言うと、現実にはその逆の結果、つまり争いが起こります。

なぜなら人は皆、「自分が正しい」と思う性質の者だからです。

 

本を読んでいないので解説から推察するだけですが、平和を築くには

想像力が必要であること。正か誤か、決めつけずに相手の立場に身を

置いて考える姿勢、それが大切であること。相手にたった1%の

正しさすら認められなくても、なぜそう考えるのか。そこに目を

留めるのもありかもしれません。気づかずにいたことが見えてきたり、

考え方に広がりができるかもしれないしれないので。

 

聖書の中にマルタとマリアという二人の姉妹が登場します。

本当に正しいこととは‥というテーマにつながる話なので、少し

考えてみたいと思います。

 

ある日、姉妹の家にイエス様がやって来ることになりました。

働き者の姉マルタは、それは最高のもてなしでイエス様をお迎え

しようと、朝から休むいとまもありません。まったく手伝おうと

しない妹マリアには当然、不満が募ります。やがてイエス様が部屋に

入り腰を降ろすと、マリアはずっとエス様のそばに陣取って話に

聞き入っています。そんな妹の態度に姉は怒り心頭‥の心境だった

でしょう。聖書の記述はこうです。

 

さて、一行が進んで行くうちに、イエスはある村に入られた。

すると、マルタという女の人がイエスを家に迎え入れた。

彼女にはマリアという姉妹がいたが、主の足もとに座って、

主のことばに聞き入っていた。ところが、マルタはいろいろな

もてなしのために心が落ち着かず、みもとに来て言った。

「主よ。私の姉妹が私だけにもてなしをさせているのを、

何ともお思いにならないのですか。私の手伝いをするように、

おっしゃってください。」

主は答えられた。「マルタ、マルタ、あなたはいろいろなことを

思い煩って、心を乱しています。しかし、必要なことは一つだけです。

マリアはその良いほうを選びました。それが彼女から取り上げられる

ことはありません。」 ルカの福音書1038-42

 

不平不満を直訴するマルタに対し、イエス様の答えはちょっと

意外なものでした。マリアの肩を持つような言い方にも取れますが、

これは“奉仕”にはそれぞれ違うやり方があって良い。きっとそういう

ことなのでしょう。エス様はマルタの言い分を否定はしていません。

ただ唯一、必要なことは、マリアのように真っ直ぐに、わたしの

ことばに耳を傾けることなのだよと‥。

マルタの奉仕も十分に尊いのです。ただマルタは、自分のやり方が

正しいと、思い違いをしてしまったのですね。

 

今はアドベント待降節)の時。救い主を迎える備えの時です。

教会でもクリスマス・プログラムのための、様々な“奉仕”が求められ

ますが、忙しさに思い煩うことなく、心静かな備えの時となるように

祈っています。

 

※写真:しばし世の中の喧騒から解き放たれ、シンプルに「森の

リース」の絵を飾ってアドベント・シーズンを過ごそうと思います。