社員向け歳末バーゲンの案内に食指が動いたか、長男が高額の
松茸4本セットを購入。いくら安いとは言え、なんと24,000円也。
過去、永谷園のお吸い物でごまかしてきた我が家の食卓の歴史に
遂にピリオドが打たれました。次があるかも分からないことなので、
二度に分けて、ありがたく賞味させていただきました。
その1
次男の家族を呼んで7人で松茸ごはんと茶碗蒸し。
下ごしらえの段階から、もう室内に芳香が充満。ご飯が炊きあがる
直前の贅沢な香りに一同うっとり。初めて食べる松茸の味に、
「香り松茸、味しめじって言うけど、松茸にも味あるね」とは
10歳の孫の弁。たしかに、しっかり味もありました。
その2
時々、我が家では親しい友人を招いてミニ・ホームパーティを
催します。ちょうど友人の一人と長男の誕生日が近いため、合同
誕生会を決行。松茸ごはんの他に、油揚げ餃子、玉こんにゃくの煮物、
ポテトのマヨネーズ焼き、野菜の浅漬け、他いろいろ。
松茸があるというだけで、なんとも豪華なパーティになりました。
わずかでも、しっかり存在をアピールして余りある松茸の香り。
祝宴が終わり、一夜が明けてもなお、幸せな残り香が漂っていました。
さて、香りということについて、少し思うことがあります。
大勢の中に埋もれているように見えても、どこか雰囲気のある人が
います。そこはかとなく漂う品格であったり、知性であったり。
もしクリスチャンである私たちが醸し出す雰囲気に、どこか異なる
もの‥誰かの心を和ませるたり、励ましたり、あるいは勇気や
希望を与える何かを感じさせるものがあったとしたら、それが
キリストのかおりと言えるのかもしれません。松茸のように強烈では
なくても、私という人間を通して、キリストが放つ良いかおりを
醸し出せたら幸いです。
「私たちは、‥‥神の前にかぐわしいキリストのかおりなのです」
(コリント人への手紙 第2 2章15節)