梅雨が明けてから、連日の猛暑にバテ気味の今日このごろ。
用事でやむなく出かける時は、日陰のありがたさに
感謝、感激です。
過去記事にも書きましたが、日陰と聞くと、あることばを
思い出します。
『心の部屋を空けて』(堀 肇著/いのちのことば社)という
本の中で、内気な性格の人を「木の影のような人」に例えて
いるのが、とても斬新に思えるからです。
内気であることには、何か言い知れぬすばらしいものが
あります。私たちの文化は内気であることを長所とは
考えていません。むしろ単刀直入であり、相手の目を見、
自分の思うところを語り、恥じることなく自分のことを
打ち明けるようにと奨めます。‥それは影のない木の
ようなものです。しかし、内気な人は長い影を持って
います。…内気な人々は敬虔で尊敬に満ちた友情へ、
そして愛の内に何も言わずに、ただ傍らに留まることへと
私たちを招いているのです。(※ ヘンリー・ナウエン著
『今日のパン、明日の糧』からの引用文)
「明るく、元気で、はきはきと」は、誰しも憧れる
生き方ですが、スカッとして一点の惑いもない代わりに、
余韻は今ひとつ。そういうところを<影のない木のような
もの>と表現したのでしょうか。
<内気な人は長い影を持っています>
内気な私はこの一文に、ホッと救われる思いがします。
影の中に、その人の個性や内面性が秘められているなら、
引っ込み思案の私でも誰かの、また何かの役に立てるかも
しれないと。
私たちは人生で疲れたとき、渇いたとき、そこに行けば
ほっとする人、それこそ、「愛の内に何も言わずにただ
傍らに留まることへと私たちを招いている」人を必要と
します。内気な人はそのような特性を持っているというの
ですが、そういう人は「木の影のような人」と言っていい
でしょうか。 (堀肇著『心の部屋を空けて』より引用)
そこにたどり着けば安らぎ、憩うことができる場所。
疲れた人、渇いた人が安心して休息できる、長い木陰を
伸ばしていけたら素敵だと思います。
あなたは弱っている者の砦、
貧しい者の、苦しみのときの砦、嵐のときの避け所、
暑さを避ける陰となられました。