シャロンの薔薇

聖書から学んだこと・日々の出来事・ハンドメイド

木の影に憩う

f:id:fantsht:20190808230738j:plain


 

梅雨が明けてから、連日の猛暑にバテ気味の今日このごろ。

用事でやむなく出かける時は、日陰のありがたさに

感謝、感激です。

 

過去記事にも書きましたが、日陰と聞くと、あることばを

思い出します。

『心の部屋を空けて』(堀 肇著/いのちのことば社)という

本の中で、内気な性格の人を「木の影のような人」に例えて

いるのが、とても斬新に思えるからです。

 

内気であることには、何か言い知れぬすばらしいものが

あります。私たちの文化は内気であることを長所とは

考えていません。むしろ単刀直入であり、相手の目を見、

自分の思うところを語り、恥じることなく自分のことを

打ち明けるようにと奨めます。‥それは影のない木の

ようなものです。しかし、内気な人は長い影を持って

います。内気な人々は敬虔で尊敬に満ちた友情へ、

そして愛の内に何も言わずに、ただ傍らに留まることへと

私たちを招いているのです。(※ ヘンリー・ナウエン著

       『今日のパン、明日の糧』からの引用文)

 

「明るく、元気で、はきはきと」は、誰しも憧れる

生き方ですが、スカッとして一点の惑いもない代わりに、

余韻は今ひとつ。そういうところを<影のない木のような

もの>と表現したのでしょうか。

 

<内気な人は長い影を持っています>

内気な私はこの一文に、ホッと救われる思いがします。

影の中に、その人の個性や内面性が秘められているなら、

引っ込み思案の私でも誰かの、また何かの役に立てるかも

しれないと。

 

私たちは人生で疲れたとき、渇いたとき、そこに行けば

ほっとする人、それこそ、「愛の内に何も言わずにただ

傍らに留まることへと私たちを招いている」人を必要と

します。内気な人はそのような特性を持っているというの

ですが、そういう人は「木の影のような人」と言っていい

でしょうか。 (堀肇著『心の部屋を空けて』より引用)

 

そこにたどり着けば安らぎ、憩うことができる場所。

疲れた人、渇いた人が安心して休息できる、長い木陰を

伸ばしていけたら素敵だと思います。

 

あなたは弱っている者の砦、

貧しい者の、苦しみのときの砦、嵐のときの避け所、

暑さを避ける陰となられました。

   (旧約聖書 イザヤ書25章4節)