シャロンの薔薇

聖書から学んだこと・日々の出来事・ハンドメイド

花と蜂

アザミに惹き寄せられる一匹の蜂。
秋の山路を散策してきた夫が、ドラマの一瞬を切り取ったかのような
小さな物語を写してきてくれました。


厳かな命の営みについて、二つの詩が心に浮かんできます。


     生命は     吉野 弘

 生命は
 自分自身だけでは完結できないように
 つくられているらしい
 花も
 めしべとおしべが揃っているだけでは
 不十分で
 虫や風が訪れて
 めしべとおしべを仲立ちする

 生命は
 その中に欠如を抱き
 それを他者から満たしてもらうのだ
 世界は多分
 他者の総和
 しかし
 互いに
 欠如を満たすなどとは
 知りもせず
 知らされもせず
 ばらまかれているもの同士
 無関心でいられる間柄
 ときに
 うとましく思うことさえも許されている間柄
 そのように
 世界がゆるやかに構成されているのは
 なぜ?

 花が咲いている
 すぐ近くまで
 虻(あぶ)の姿をした他者が
 光をまとって飛んできている

 私も あるとき
 誰かの虻だったろう

 あなたも あるとき
 私のための風だったのかもしれない
             


     快楽について    ハリール・ジブラーン

 体は魂の竪琴。
 あなたがた次第で甘美な音が奏でられ、乱れた音も出てくるのです。

 そこで、あなたがたは考えてしまう。
 どのようにして快楽のうちにある 善と悪とを区別しようか、と。

 あなたがたの畑に、庭に、足を運びなさい。
 そこで学ぶことでしょう。
 蜂にとって、快楽とは花の蜜を集めることだと。
 しかしまた 花にとっての快楽は蜜を蜂に与えること。

 なぜなら蜂には 花が生命の泉。
 花には蜂が愛の使者。

 蜂にしても花にしても、快楽を与えること、受けることが、
 それぞれの需(もと)めであり、恍惚(エクスタシー)なのです。

 オルファレーズのひとびとよ。
 快楽については、花や蜂と同じでありなさい。

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生命とは、また生きる喜びとは、他者の生命と結びついて満たされるもののようです。

この二つの詩が、いのちの営みの深遠さを示唆してくれるようです。