私は‥ 信じます
わたしは日が照っていないときでも、
太陽の存在を信じます。
愛を感じることができなくても、
愛の存在を信じます。
神が沈黙している時でも、
神の存在を信じます。
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これは、第二次大戦中に爆撃された、ケルンの地下室の壁に記されていた
ものだそうです。切迫した状況下で、暗い地下室の壁に書き刻まれた詩。
暗闇の中に、確かな希望のメッセージが浮かび上がって来るようです。
見えるもの、聞こえるもの、味わえるもの、手に取って触ることのできるものを
信じるのに、努力は要りません。
見えないもの、聞こえないもの、味わえないもの、手に取って触れないものを
信じる力を、本来、私たちは持ち合わせていないのではないでしょうか。
信じられる!言うは易しです。でも、私たちは有限な存在。人間の努力には
限界があります。信じたいと、どんなに願っても、信じ通す力はないのです。
信じる力さえ、神様からの贈り物(たまもの)であることを、謙遜に認める
ことが必要なのだと思います。
戦争という極限状況の中にあっても、この信じる力を持つ人々から、誰も
“希望の光”を取り上げることはできませんでした。
「もし、~でも」
「たとえ、~でも」
その後に続く言葉が「私は‥の存在を信じます」という、はるか先の希望を
見据えられる、そのような人でありたい。あらためて、そんな風に思いました。