シャロンの薔薇

聖書から学んだこと・日々の出来事・ハンドメイド

この差は天地ほど大きい

 

勢いが止まらないコロナ、そして体温を超える猛暑。

たとえ行動制限がなくても、外へ出る気力も失せる今日この頃です。

大人はそうでも、小学生、中学生の孫たちは元気モリモリ。

夏休みを十分に満喫しているようです。

 

中学生になったハル君は、鉄道と魚釣りに夢中。

昨日はお父さん、おじいちゃんと3人で海釣りに出かけましたが、

「まだ釣れない」のラインメールが。

「がんばれ~!」と、応援メール。

 

空も薄暗くなって来た頃、一枚の写メが届きました。

 

 

「おー、すごい! 何の魚?」

あじ

 

粘った甲斐あって、あじ2匹とサバ1匹の釣果があったとか。

ふだんは「ボーズ」の日のほうが多いようなので、3匹でも

昨日は大漁だったのかな?

 

魚釣りに限らず、何ごとも諦めず、希望を持ってやり続けることは

大切なことですね。とても励まされ、背中を押される素敵な言葉を

紹介したいと思います。

 

「1%でも可能性があるなら、それは努力をやめない理由になるでしょ?」

                      ( by 中村憲剛 )

 

「できない」と思っていたら 100年経ってもできませんが、

「できるかも」と思えたら それはできます。

この差は 天と地ほど大きい。

                      ( by ひすいこたろう )

 

そして、聖書にある大好きな言葉。

 

「‥苦難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、

  練られた品性が希望を生み出す‥

 ‥この希望は失望に終わることがありません。」

                ( 新約聖書ローマ人への手紙5章4-5節 )

 

炎暑はしばらく続きそうです。皆さま、どうぞご自愛くださいね。

 

わが半生は、簓(ささら)と共に

 

簓(ささら)

あまり耳慣れない言葉ですが、私にはとても思い入れがある言葉です。

息子が小学生の頃、PTAの広報委員で知り合った方とミニコミ誌を

作ろうという話になり、タイトルの候補を幾つか挙げ、最終的に

二人が選んだのが“簓(ささら)”でした。ささら、さらさら‥と、

小川が流れる(ペンが走る)響きの良さが決め手になりました。

 

は竹を細く引いて束ねた刷毛(はけ)のことで、今で言うなら

キッチンブラシかな? お櫃(ひつ)の底についた米粒を集めて

洗い流す時に使う道具なので、日常茶飯の出来事を、サラサラッと

書き集める意味でもピッタリのネーミングかなと‥。

 

昭和60年頃のことですが、まだワープロもPCもない時代。すべて

手書き、切り貼りの作業です。何よりライター探しが一仕事。

友だちのよしみで一度は投稿してくれるのですが、二度目は無し。

何とか二人で埋め草を当て込み、数号は続いたもののギブアップ。

勢いで見切り発車したものは続かないって、その通りですね(^o^;)

 

簓に未練がある私は、その後、Yahoo!ブログに「簓(ささら)」

開設。6年ほど書いたところでサービス終了となり、心ならずも

ブログを閉じることになりました。

 

それでもまだ未練タラタラの私。今年から“簓(ささら)通信”

発行することにしました。単なる自己満足のフォト・ダイアリーですが、

自分史の一環として、また孫たちの成長の記録として、続けていけたら

いいなと思っています。

 

わが半生は、簓(ささら)と共に。

ちょっと大げさな言い方ですが、これからもきっと、簓(ささら)と共に

歩んでいくと思います。

マドンナは白檀(びゃくだん)でなく、樫の木の中に

 

  人はマドンナを彫刻しようと、

  白檀(びゃくだん)の木を探しながら、

  材木置場でけとばしている樫の木の中に

  美しいマドンナが隠されているのに

  気がつかずにいるのです。

           J.R.ミュラー

 

白檀の香り‥、中国土産の扇子を広げた時の、あの香りですね。

お香を焚いたような独特の甘い香りが浮かびます。強すぎる香りは

ちょっと苦手ですが、精油としてのサンダルウッド(白檀の英名)は

爽やかで大好きです。スコットランドへ旅行した友人が、お土産に

買ってきてくれたサンダルウッドとフランキンセンスブレンド

オイルは、リフレッシュしたい時に最高! デスクの必需品です。

 

何かを作ろうとする時、徹底的に材料にこだわる人もいますし、

あまり気にしない人もいます。私は後者のほうかな。もちろん、

良い材料にはそれだけの価値があり、出来栄えも良いでしょう。

でも、もう少し周りを見渡して、身近に材料になるものを探すのも

造り手の醍醐味のように思うのです。

 

たしかに白檀ではなくても、ふだん材木置場でけとばしている

樫の木の中に美しいマドンナが隠れているかもしれません。昔、

姪っ子たちと一緒に見たTVアニメに『樫の木モック』という作品が

ありましたが、あの愛すべきモックだって、おじいさんが一生懸命に

木を彫って生まれてきたのですから。

 

良いものは、良いものからしか生まれないと、初めからハードルを

上げることは、本当に良いものを見落としてしまうかもしれません。

私たちの周りには、材料になるかもしれない“物たち”が山ほど

転がっているのですから。ひょっとして、そこにマドンナが隠れて

いるかもと、想像を逞しくするのも面白いと思います。

 

話をきれいにまとめた後に、まったく低次元の例になりますが、

ラクタから、こんなカードが出来上がりました。

 

 

雑誌、包装紙、チラシなどなど。いつか、何かに利用できるかと

切り取っては入れ、山のように集まった図案素材の切れ端。今日は

その一つに目が留まり、カードにアレンジしてみました。

 

記事の内容に無理やりこじつけた感はありますが、まあ、こんな

楽しみ方もありといったところで‥(^o^;)

リラックス空間 キックバックカフェ(KBC)

 

以前、情報誌で知ったユニークなカフェに行ったことがあります。

調布市にある、名前はキックバックカフェ。略してKBC

 

キックバックとは英語のスラングで「リラックスしよう」という

意味なのだとか。カフェにはピッタリ名前ですね。お店の人の

対応も親切で、とても良い雰囲気だったのを覚えています。

 

お店のNo1.メニューは “豆乳ラーメン”。もちろん食べましたよ。

過去一番の美味しさと言えるラーメンかも。オススメです。

 

オーナーのマレさんこと、石井希尚(いしい・まれひさ)さんの肩書きは、

何ともユニークです。カフェのオーナー、作家、ブライダルカウンセラー、

ボーカリスト、牧師。それぞれの分野で幅広く活躍されていますが、

ブレない一貫した信条、理念が根底にあるからなのでしょう。

著書「明けない夜はない」(ディスカヴァー・トゥエンティワン)の

帯には、こう書いてあります。

 

 あなたは誰とも

 同じではない。

 あなたは、意味と目的を

 持って生まれた

 唯一無二の存在だ。

 

自分のアイデンティティー(自己価値)が分からない人は、ぜひ

マレさんの本を手にとって、切り口シャープなメッセージから

普遍的なテーマと向き合い、内面を見つめ直してほしいですね。

 

お店に足を運び、リラックス空間に浸れたら最高なのですが、

何しろコロナの第七波到来とか。まだまだ油断なりません。

マレさんがメインボーカルを務めるユニットHEAVENESE(ヘヴニーズ)が、

ライブ配信をすることもあるようなので、ネット視聴もありかな?

 

梅雨の戻りなのか‥、憂鬱な雨の日のつぶやきでした。

寄り添うことの優しさ、美しさ

 

 6月末、40数年来のママ友5人と、東京駅構内にあるKITTE 6階、

海鮮料理店「銀平」に集合し、約3年ぶりに旧交を温める機会を持つ

ことができました。

 

 子育てが終わった頃から、年に一回、顔を合わせているメンバーです。

コロナ禍で少し間隔が空いたこともあり、積もるお喋りは止むことなく

延々続き、コーヒーショップに場所を変えても、さらにまたお喋り。

話題が途切れないのは、おばさん族“あるある”ですね(^o^;)

 

 振り返れば、ここに集まった一人ひとりが、いろいろな問題を抱え、

時には深刻な状況の中に置かれながらも、それらを乗り越えて今日という

日があるのだなあ‥と、しみじみ考えさせられる時でもありました。

 

 喜びの時も、悲しみの時も、また悩み苦しみの時も、ダイレクトにではなく、

ほどよい距離感で、そっと寄り添ってくれる友がいることに感謝します。

 

 古いミッション関係のニュース・レターに、こんな記事が載っていました。

堀 肇牧師のコラム「Holy Café」からの引用です。

 

 悩んでいる人に対して、いくらかは役に立てるのではないか、

 また、役に立とうという思いが膨らんできたら気をつけたいものです。

 その思いが強くなると相手はもうそこにはいなくなり、<自分>がいるのです。

 実はそういう自分は相手のためにはならないのです。

 大切なことは、役に立とうとは思わないで相手の傍らにいることです。

 いつも変わらずに。

 

 優しいという字は、「人」が「憂い」の横に立っています。さまざまな

思い煩いに悩む人の傍らに寄り添う人。それが本当の優しさの意味なのかも

しれません。「優」の字の成り立ちの美しさに、深い味わいと感動を覚えます。

 

 旧友との再会に感謝するとともに、あらためて寄り添うことの大切さを

考えさせられました。

 

 

マイブログ変遷史・「シャロンの薔薇」&「簓(ささら)」

 

 

ネットでは毎日ブログを更新している方の何と多いこと‥。

今のズボラな私からは想像できませんが、初めてSNSサイトで、

“つぶやき”のような日記を書き始めた頃は、私も毎日のように

アップデートしていたものです。それが2006年のこと。細々では

ありますが、ブログ生活がもう15年余り続いていることに驚いています。

 

Yahoo!ブログ「シャロンの薔薇」を開設したのは2008年のこと。

1ページ目は、本当に恐る恐る‥という感じがよく出ています。

 

fantsht.hatenablog.com

 

そして2013年からは、もう一つのブログ「簓(ささら)」を開設。

聖書から学んだことと、日々の出来事を書き分けるためでした。

 

fantsht.hatenablog.com

 

その後、利用していたYahoo! ブログがサービスを終了するという

想定外の出来事が! 私としてはブログは継続したかったので、現在の

はてなブログに引っ越しをすることになりました。その際、上述の2つの

ブログを一本化して、現在に至っています。

 

日記帳、手帳、家計簿などなど、自分の足跡を辿る“記録冊子”は

生きてきた分だけ山のようにあります。ただ、その山から「あれは、

いつだっけ?」と、ピンポイントで“その日”を探し当てるのは至難のわざ。

その点、ブログは更新日時やタイトルを遡れば、すぐ見当がつきます。

それだけでも大きな利点ですが、すっかり忘れてしまっていることや、

あの時、こんな風に考えていたんだという、自分の心模様の変遷も

見届けられて、ブログを続けるメリットの大きさを思います。

 

ブログとはウェブログWeblog)を略したもの。ネット上のWebサイトと

log(日誌)を簡略化した言葉のようです。それぞれ自分にあったスタイルで、

またペースで、自由に書くことができる究極のマイワールド。個人の

公開日誌と言ってよいかもしれません。モラルを守り、またプライバシーを

守りつつ、暮らしの中で自分が出逢ったもの、感じたもの、学んだもの‥を

記録に残していく。自分史を綴ることは、私のライフワークの一つでも

ありますが、このブログも自分史の一環として、大切に続けていきたいと

思っています。

 

 

コーヒーの木と、絵本『にんじんのたね』から

 

ずいぶん昔の話になりますが、絵画教室の友人からコーヒーの木の

苗を分けていただきました。ツヤツヤした葉がとてもきれいなので、

ずっと大切に育てています。

 

どんどん葉を繁らせてサイズアップしていくものの、いっこうに

蕾をつける気配もありません。目に優しい観葉植物として楽しめば

それで十分と、ほとんど諦めかけていました。鉢が小さくなり、

窮屈そうになってきたので、夫がワンサイズ大きな鉢に植え替え、

肥料をたっぷり入れたところ、目に見えて元気になって‥。

気がつくと、ツンツン尖った白い蕾をいっぱいつけていました。

かすかに香蘭にも似た甘い香りも漂っています。

 

手入れはしていたつもりでも、開花に十分な栄養や環境が不十分

だったのでしょうね。コーヒーの木さん、ごめんなさい(~_~;)

 

健気に咲いてくれたコーヒーの花を見て、『にんじんのたね』という

絵本を思い出しました。ルース・クラウス、クロケット・ジョンソン

夫妻の共著で小塩節訳(こぐま社)の作品。ストーリーはいたって

シンプルです。

 

小さな男の子が、にんじんの種を土に蒔きました。みんなから

「芽なんか出ないよ」と言われ続けても、せっせと世話をし続けます。

そして、信じていた通り、大きなにんじんを収穫することができました。

“種”の中に秘められた“いのち”、“希望”を素朴に信じて待つと

いう男の子の姿勢は、ハッと気づかされるものがあります。

 

ルカの福音書の中に、このような記述があります。

 

エスはこのようなたとえを話された。

ある人が、ぶどう園にいちじくの木を植えておいた。そして、

実を探しに来たが、見つからなかった。そこで、ぶどう園の番人に言った。

「見なさい。三年間、このいちじくの木に実を探しに来ているが、

見つからない。だから、切り倒してしまいなさい。何のために土地まで

無駄にしているのか。」

番人は答えた。「ご主人様、どうか、今年もう一年そのままにしておいて

ください。木の周りを掘って、肥料をやってみます。それで来年、実を結べば

良いでしょう。それでもだめなら、切り倒してください。」

                     ルカの福音書13章6-9節

 

この例え話の中の「ぶどう園」はイスラエルの民(私たち)を指し、

ある人とは神さま、つまり、ぶどう園の主人を、番人はイエスさまを

指します。ここには、実をつけないいちじくの木を思い、主人になんとか

執り成そうとする番人の姿があります。もう少しだけ待ってください、

わたしがなんとかしますからと‥。

 

クリスチャンになるまで8年もの歳月を要した私には、この聖書の

箇所は本当に身につまされる思いがします。イエスさまは、私たちが

信仰の実を結ぶことができるように、諦めずに肥料を与え、水を注ぎ、

害虫を取り除き、手入れをし続けていてくださっている。その忍耐を

思う時、ただ頭を垂れるしかありません。感謝です。

 

何年もの月日を経て、やっと開花したコーヒーの木から、また、

にんじんの種を蒔いた絵本の男の子の姿から、信じて待つことの大切さを

学ぶことができたこと。これも日常の中の恵み、グッド・ニュースと

言えるかもしれませんね。