シャロンの薔薇

聖書から学んだこと・日々の出来事・ハンドメイド

「クロノス」と「カイロス」という2つの時間

  

 毎日のルーティンを決めているわけではないのですが、曜日ごとの

スケジュール帳はそれなりに埋まっていきます。予定は予定として、

それ以外の空いた時間をどう使うかは、なかなか悩ましいもの。

A型人間の几帳面さを持ち合わせている反面、突発的な案件が生じると、

そちらに心が動かされ、日課にしていることや継続していることが

後回しになってしまいます。

 

 何だかんだの言い訳をしていますが、ブログの更新もその一例です。

理想としては週に一回のアップデートをと考えているのですが、なかなか

それが果たせていません。小さなことでも自分で決めたことには忠実に!

そう自戒を込めての今日の更新になります(-_-;)

 

 以前もブログに書きましたが、「クロノス」と「カイロス」という時間を

表す2つのギリシア語をおさらいしてみます。

 「クロノス」は年、月、分、秒で測ることができる時間。つまり人間が

発明した時計で測れる時間のこと。「カイロス」はもう二度と訪れない

決定的瞬間を指します。神さまが計画し、備えてくださった特別な時と

言っても良いでしょうか。

 

 聖書に書いてある「時」について‥。 幾つか挙げてみます。

  生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。 ‥‥

       泣くのに時があり、笑うのに時がある。 ‥‥

  求めるのに時があり、あきらめるのに時がある。 ‥‥

       黙っているのに時があり、話すのに時がある。

  愛するのに時があり、憎むのに時がある。

  戦いの時があり、平和の時がある。  ‥‥

  神のなさることは、すべて時にかなって美しい。

                                                    伝道者の書3章1-11節

 

 先日、夫とお花見に出かけた時、足元に見つけた雑草たち。

よく見るとテントウムシまで。彩りよく配置された、美しい神さまの

作品ばかり。きっとこれらの雑草との出会いも、良き「カイロス」の時

だったのでしょう(*^^*)

 

 只今、北上中の桜前線。タイミングを逃せば今年のお花見もパーに。

もちろん、「クロノス」を示す時計というものは、人間の生活に必要

欠くべからざるものですが、さらに人生という時間を豊かにするためには、

もっともっと「カイロス」に敏感な者でありたいものです。

世の中は桜一色、わがベランダはブルーガーデン

 

 ようやく桜の花便りが聞かれる季節になりました。これだけ多くの

人が開花を待ちわびる桜の引力。花冥利につきますね(^o^;)

 

 わが家の裏山には桜並木が連なっており、散り際の頃には、大量の

桜吹雪が風に乗ってベランダに舞い落ちてきます。この季節の風物詩も

楽しみの一つになっています。

 

 桜もそうですが、この時期の日本は百花繚乱。最も色彩豊かな季節

と言えるでしょう。今、わが家のベランダはブルーガーデン真っ盛り。

夫が去年、3品種がミックスされた「ブルーガーデン」という花の種を

購入し、秋口に蒔いておいたものが、今、まさに咲き揃っています。

 

 ネモフィラとムラサキハナナ(諸葛菜)と矢車草。それぞれ違う青の

色味が良い具合に調和して、爽やかさを演出してくれています。澄んだ

空のようなネモフィラの碧色、ムラサキハナナの薄紫、ロイヤルブルーの

矢車草。甲乙つけがたしとは、こういうことを言うのでしょうね‥(^_^;)

 

 ひたち海浜公園ネモフィラの群れは、風にそよぐ大海原の漣のよう。

ムラサキハナナは諸葛菜とも言われますが、その由来は中国、三国時代

諸葛孔明が南征した折、兵士達が野菜不足で栄養失調になったため、

この植物を食用として栽培したからだとか。食べられるんですね(^o^;)

 

 矢車草の青色を評して、野草研究家のマシューズという人が言いました。

「あらゆる青い花の中で、最も完全な青」だと。青の定義は別として、

私の中で「矢車草の青」には明確なイメージがあるので、マシューズの

思い入れのある言葉に1票! を入れたいと思います。

  

 明確なイメージと書きましたが、1つのエピソードがこれ‥。

童話「人魚姫」の書き出しの部分にあります。(青空文庫から拝借)

 

 海のおきへ、遠く遠く出ていきますと、水の色は、

 いちばん美しいヤグルマソウの花びらのように まっさおになり、

 きれいにすきとおったガラスのように、すみきっています。

   ハンス・クリスチャン・アンデルセン著「人魚姫」/矢崎源九郎訳

 

子どもの頃に読んだ、この冒頭のフレーズはしっかりと脳にインプット。

以来、「青い色は矢車草=人魚姫の海の色」と相成りました(~_~;)

 

 また別のエピソードとして、矢車草の特徴にも納得できます。この花は

乾燥しても色が褪せません。よくフレーバーティにきれいな青色の茶葉が

入っていますが、あれもそうなのでしょうか。

 エジプトのファラオ、ツタンカーメンの墓を発掘した際、棺に収め

られていた副葬品の中に、青い色素を残した矢車草が残っていた話を

聞いたことがあります。まだ少女だったと思われる王妃が、若くして

亡くなった愛する夫のために花を添えたことを思うと、物悲しさが

漂ってくるようですね。

 

 さて、一雨ごとに蕾が膨らみ、この週末には多くの花見見物客で

賑わうことでしょう。しかし、この季節になると決まって頭をよぎるのは、

あと何回、桜の樹の下を歩けるのかなという希望的観測‥。

 嗚呼、しょうもない。言わずともよい高齢者のたわ言でした(~_~;)

デコパージュって楽しい♪

   

 

 もともと紙を集めるのが好きで、私の周りには、さまざまな種類の

紙素材があふれています。この膨大な量の紙を幾つもの箱に入れて

一応は分類しているのですが、大きいもの、小さいものがごちゃ混ぜに

なっていて、目的の紙を取り出すまでが一苦労(-_-;) 特にシールのように

小さいものは、度々、行方不明になってしまうことも。さて工作を始め

ようという時、もっとスムーズに出し入れでき、またもっとコンパクトに

収納できないかと知恵をしぼり、こんな風に仕分けしてみました。

 

 

 余っている封筒や使い古しの茶封筒を適当な大きさにカットし、前面を

切り取ってクリアポケットを貼りつけ、窓付き封筒のように細工します。

折り紙を台紙にすると、少し大きめのサイズのものを入れられます。

 

 

 四隅をマスキングテープでカバーしたり、裏面にデコパージュもどきの

飾りを施したり‥。古い切手やいろいろな図案の切り抜き、レースペーパー

などを種類別に入れるのですが、透明窓のせいで、一目で中身が分かり、

使い勝手もかなりアップ。工作の時短効果は抜群です(*^^)v 因みに、

レースペーパーは自作のもの。半紙を折り、パンチやハサミで切り抜き、

絵の具で染めてみました。

 

 

 デコパージュはまったくの自己流。本当はもっと全面に素材を盛って

豪華版デコに仕上げるのが理想ですが、初心者としてはこれが精一杯。

これだけでも、モチーフをそろえるだけで30分くらい時間がかかって

しまいました(^o^;) 何の関連性もないバラバラの素材を、自分のバランス

感覚だけで貼り合わせていくプロセスが、実に楽しい♪ また新たな趣味を

見つけたかな‥。そんな感じではまっています。

 

 表紙にデコパージュを施したメモ帳も増殖中(^o^;) しばらく、紙と

戯れる日が続きそうな予感が‥(^_^;)

日本人のDNAは耳が悪い? 

  

 

昨日は春の嵐のような悪天候の祝日でした。朝は晴れていたけれど、

午後は雷雨の情報もあり、洗濯物は部屋干しに。夫も仕事で朝から遠出

したので、久しぶりにフリータイムを満喫した一日になりました。

 

手作りカードやデコパージュ用のモチーフを切り抜いたり、用途別に

仕分けしたり、読書をしたり‥。月に2~3日、こんな日があると

リフレッシュできるのですが、なかなかそうはいかないのも主婦業です(~_~;)

 

 古い本ですが、曽野綾子さんの『「受ける」より「与える」ほうが幸いで

ある』(大和書房)という本を読み返していたら、「なるほど」と思える

ことが書いてあり、自分にも当てはまるなぁ‥と。

 「外国語の聞き取り能力」という本題の中に“日本人のDNAは耳が悪い?

”聞き違いから生まれた外来語”という小見出しがついた記事が載っていました。

ちょっとピックアップしてみます。

 

 今は誰も知らない「チャンコロ」という言葉。中国人に対する蔑称なのだ

そうです。実は、これは日本人が、「中国人」(チュンコーレン)を聞き

違えて発音しただけのことで、けっして蔑称ではなかったはずだと。

同様にロシア人に対する蔑称とされている「ロスケ」という言葉も、実は

日本人の耳の悪さから来ているらしく、「あんたはどこの人かね」と聞く

日本人に、ロシア人が「ルスキ(ロシア人)だ」と答えた、その問答に

端を発しているのだとか。外国語に馴れない日本人ゆえの聞き違いなのだと

曽野氏は書いています。

 そう言えば、私が生まれる前の話ですが、私の家族も樺太に渡り暮らして

いた時期があります。当時、近所に住んでいたロシア人のことを、祖父が

「ロスケ」と呼んでいたのを思い出し、そうそう!そう言ってたっけと

記事の内容が合致しました。

 

 また、曽野氏が幼い頃、お母さんが四角い大きな固形石鹸を使って洗濯を

していたそうです。いわゆる「ミヨシのマルセル石鹸」のこと。そのマルセル

石鹸も日本人の耳の悪さから来たものだと書いてあります。これは曽野氏の

推測だそうですが、フランス船の乗組員が固形石鹸で洗濯をしているのを見た

日本人が、「それは何というものかね」と聞くと、どこから来たのかを問われた

と思った船員が「マルセイユだ」と答えたことから、マルセル石鹸の名前が

今日まで定着してしまったのだろうと。

 

 ちなみに私の母もマルセル石鹸の愛用者で、私もよく使っていましたが、

いつからか店頭から姿を消してしまいました。生産が中止され新製品に

変わったのかもしれません。古き善きものは、ぜひ残してほしいものですね。

 

 曽野氏は「日本人は、どうも人一倍耳が悪いらしい。おそらく日本人全般に

あるDNAの特徴なのだ」と結論づけています。それが正論かどうかは別として、

私も昔からヒアリングが苦手で、発音を正しく聞き取れないほうでした。

義務教育で若い頃から英語に触れているはずなのに、英会話は無理‥という

日本人が多いのは、このDNA説にも一理あるのかも?

 いやいや、最近の聴こえの悪さはこの仮説のせいにあらず。明らかに加齢に

よるものでしょう。コミュニケーションに支障が出る前に、一度、耳鼻科を

受診したほうが良いかもしれません(^o^;)

春近し ミモザイエロー光る小径(みち)

  

 

 最寄り駅に行く道々、それは広い花壇を有しているお屋敷があり、

一年中、季節の花々や草木で通行人の目を楽しませてくれています。

 そろそろ、あの花が見れる頃かなと期待しながら歩く駅までの小径。

けっこう我が家の話題の重要ポイントになっています(*^_^*)

 

 教会の看板に、礼拝の説教題や聖書のことばを書いて掲示する当番を

受け持っているので、3月はミモザのカットを添えてみようかと。そんな

ことをつぶやいていたら、夫が散歩ついでにミモザの写メールを送って

くれました。上の写真が、ご近所の邸宅の見事なミモザの木です。

 

 ミモザという名称。その名前にはなかなか複雑な背景があって、私の

頭の中で処理しきれません。簡単に言うとミモザとはマメ科アカシア属の

総称で、私たちが一般的にミモザと呼んでいるのはギンヨウアカシア

(銀葉アカシア)のことを指すようです。

 

 よく見ると、確かに葉っぱの色は奥ゆかしい銀色にも似た輝き。

金平糖のような黄色い粒を集めた花とよく調和し、気品を感じさせます。

春の花の代表は何と言っても桜ですが、金色に光り輝くミモザの爽やかさも、

春を告げる花の一つとして、桜と肩を並べても良いのでは? まあ、これは

あくまでも個人的感想ですが(^o^;)

 

 きれいな俳句を見つけたので付記しておきます。

 

 ミモザ咲き 海かけて靄(もや) 黃なりけり (水原 秋櫻子)

 神の国 近しミモザの 咲ける丘 (稲畑 汀子)

 

 花言葉は感謝、友情、思いやり、エレガンス、密かな愛‥。

スワッグに仕立てるとか、ミモザは大切な人への贈り物にもピッタリですね。

明るく、フレッシュなミモザイエローに元気がもらえた気がします(*^^)v

 

信仰は心の自律神経 

 2月末、ちょっと体調を崩していました。若い頃からの持病のような

ものですが、寒暖差の大きい季節に自律神経のバランスを崩すようです。

自律神経には二種類あって、交感神経と副交感神経で構成されていますね。

 よく交感神経はアクセル、副交感神経はブレーキに例えられます。

どちらかが優位に働くと体に不調をきたします。意識していないのですが、

私の場合、唐突にアクセル全開になることがあるようで、脈が早くなって

立ち上がるだけでも疲れてしまうとか(~_~;) 自分の体のことは、よくよく

承知しているので、サインが出たらすぐ手を休め、静かに過ごすことに

しています。

 

 自律神経は一日中、一秒たりとも休まずスイッチオンの状態で、私たちの

体調維持のために目を光らせ、時に警鐘を鳴らしてくれる大切な役目を

果たしてくれています。そうそう、ルカの福音書にこんな記述があります。

自律神経の話につながるかもしれません。

 

 あなたの信仰が あなたを救ったのです。(ルカの福音書17章19節)

 

 他の人と一定の距離を取らなければならなかった、重い皮膚病患者が

10人いました。彼らはイエスさまに「どうか私たちを憐れんでください」

と懇願します。イエスさまの「その体を祭司に見せなさい」ということばに

従い、祭司の所へ行く途中に、なんと彼らの皮膚病は癒やされました。

10人のうち、たった一人だけがイエスさまの所に戻りひれ伏して、感謝の

ことばを捧げました。その人はユダヤ人から蔑まれ、差別されていた

サマリヤ人でした。他の9人はどこへ行ってしまったのでしょうか。

 「あなたの信仰が あなたを救ったのです」というイエスさまのことばは、

「信仰には体の病だけでなく、心の傷も癒やす力がある」ことを教えて

くれます。

 

 見よ イスラエルを守る方は

 まどろむこともなく 眠ることもない。  (詩篇121篇4節)

 

 主は すべてのわざわいからあなたを守り

 あなたのたましいを守られる

 主はあなたを 行くにも帰るにも

 今よりとこしえまでも守られる   (詩篇121篇7-8節)

 

 自律神経が休まず働いているように、神さまも絶えず私たちを見守って

いてくださいます。信仰はまさに心の自律神経なのかもしれませんね。

 

※写真は紙工作のyoutubeを見て、桜のオブジェを作ってみました。

 ピンクと水色のバランスが春らしさを演出してくれています(*^^)v

No Rain, No Rainbow. 

 

 


 今はほとんどアップデートを果たせていない、不真面目な管理人では

ありますが、あるSNSで「ことばの宝石箱」というコミュニティを運営

しています。日々の暮らしの中で、心に響いたことばを多くの人と分かち

合いたい。そんな思いで立ち上げたコミュニティです。

 皆さんがここに寄せてくださった一つひとつのことばには、力があり、

心の拠り所になっています。どれも珠玉の名言ばかりですが、その中でも

私が特に素敵だなと思ったのが、このフレーズです。

 

 No Rain, No Rainbow. 

 

 ハワイのことわざで、直訳すると「雨が降らなければ、虹は出ない」。

 

「雨が降ったおかげで、きれいな虹が見られる」

「つらいことがあっても、きっと未来には良いことが待っているはず」

「苦は楽の種」 

そんな希望の種が秘められたメッセージが伝わってきます。

 

 聖書において、「虹」は平和のしるしを表します。神さまは罪に満ちた

人間の世界を一度リセットしようと、大洪水を起こされました。有名な

ノアの洪水の話です。神さまのことば通りに方舟(はこぶね)を作り、

いのちを得たノアが見たのは、空に架かった美しい虹でした。それは、

「もう二度と洪水を起こし、人間を滅ぼさない」という神さまの約束の

しるしでもありました。

 

 「わたしは雲の中に虹を立てる」(創世記9章13節)

 

 Rainbowのbowは「弓」という意味です。戦いの武器ともなる弓が

雲の中に置かれる。それは平和であることのしるしにもなります。

 今、土砂降りのような困難な状況のただ中にあっても、雨が止めば、

きっと澄んだ青空に虹が出ることを、私たちは知っています。だから、

思い煩うことをやめ、神さまの約束のしるしである虹を待ちたいと

思います。たった1行だけ。短いフレーズですが、このダイナミックな

ことばを、心の救急箱に入れておこうと思います。

 

※写真2枚:

 しばらく雨が続いていた川崎でしたが、今日は青空が広がりました。

虹は出ませんでしたが、木瓜の花がほころび、ネモフィラも我も我もと、

顔をのぞかせています。いよいよ、春近しの良い季節になりましたね。